上熊本駅は九州鉄道が熊本まで開通した明治24年(1891年)、当時の池田村に設けられたため、池田駅と名付けられ、明治34年に上熊本駅と改められた。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「停車場にて」という小説は、明示26年にこの駅でおこった出来事をもとにして書かれたものだそうです。小泉八雲は明治24年11月に五高の英語教師として熊本に来ました。ハーンが41歳の時、夏目漱石が同じく五高の英語教師として着任する2年前の明治27年まで熊本にいて、神戸市に転居しました。
夏目漱石は明治29年4月13日に五高の英語教師として着任するためにこの駅に降り立った。当時陸軍施設や官庁、学校等に行くには池田駅が、最短路であり熊本市の表玄関として賑わったそうです。
明治、大正期の建築様式の風格がにじむ駅舎は、大正2年(1913年)に改築されたものであり、昭和49年に近代建築士協会の保護指定建築物の指定を受けました。
しかし、九州新幹線全線開通に伴う在来線高架化により平成17年に解体予定で存廃が危惧され地元でも保存運動が起こりました。それで、JR上熊本駅の駅舎の一部を保存し、熊本市交通局上熊本駅前駅の駅舎として使用する事が決定され、平成18年7月1日に移築が完成した。
夏目漱石の像は旧駅舎の前にありましたが、今は道路を挟んだ反対側に移設されています。なおここにはJR九州、熊本電気鉄道、熊本市交通局の上熊本駅が100m以内にあります。