加藤清正は緒張中村(現名古家市)に生まれる。豊臣秀吉子飼いの武将で、武功を認められ1588年(天正16年)肥後の半国(19万5千国)を与えられる。秀吉亡き後は、徳川家に仕え、関ヶ原の戦いの功績によりさらに領地を与えられ、五十四万石の大守となり熊本城を築城した。
1588年(天正16年)に肥後の北半国を与えられ隈本城に入城。戦略・防衛の観点から地形を利用した広大な城郭を造り、地名とともに名称を熊本城と改める。この熊本城を筆頭に、名護屋城、江戸城、名古屋城などの数々の築城に携わり、類まれな築造の才を発揮する。
熊本城造営と同時に力を注いだのが新しい城下町づくり。侍町を形成するとともに国府(二本木)から町人(商家)を移動させ町を作って総称を新町とし、大手門を築いて四街道の起点とした。以後、従来の町は古町と総称され、当時つけられた町名は現在もそのまま使われている。
築城術とともに長けていたのが治水術で、肥後に入国後、大規模な治水事業を実行。度重なる大洪水に悩まされていた領民たちは災害から免れるだけでなく路整備によって田畑の生産性も飛躍的に上がり農民達も豊かになった。
◆加藤清正
◆加藤清正聖像
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